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熊本県立劇場 | 萌える建築

熊本県立劇場 | 萌える建築

熊本県立劇場_前川國男

今回の建築

熊本県立劇場

 

熊本県民には馴染み深い熊本県立劇場。まもなく開館40周年を迎える、本格的なコンサートホールと演劇ホールを備える公共の施設。設計はモダニズム建築の旗手として、主に第二次世界大戦後の日本建築界を牽引した大御所建築家、前川國男。

ちなみにこの萌え建コーナーの第一回目が、同じ前川建築の熊本県立美術館(1977年)であった。令和3年3月20日、約5ヶ月にも及ぶ大規模改修工事を終え、リニューアルオープンしたばかりの熊本県立劇場をレポートする。

熊本県立劇場_前川國男

100年愛され続ける建築を目指して

熊本県立劇場_前川國男
Uの字型のキャノピーが建物へと誘う。玄関前の広場は日常から非日常へ切り替えるには十分すぎる広さ。焦茶と白色の『せっ器質タイル(磁器と陶器の間)』が描くのは江戸時代に生まれた“吉原つなぎ”の文様。別名『郭繋(くるわつなぎ)』とも呼ばれる鎖のイメージ。吉原の遊郭に一旦入ってしまうと、鎖に繋がれたようになかなか抜けることができないことにちなんだ名前と言われている。しかし、人と人との良縁を鎖のように強固に繋ぐ意味もあるので、前川國男はもちろんこちらの意味合いで取り入れたのだろう。タイルで描かれたこの文様は、ロビー、ホワイエまで続く
熊本県立劇場_前川國男
熊本県立劇場_前川國男
熊本県立劇場_前川國男
正面玄関を抜けるとエントランスホール。左にコンサートホール、正面に演劇ホールと駐車場側入り口に抜けるモール。右側にレストランなどがある。もしも“吉原つなぎ”の文様がなかったとしたら、これだけダイナミックなパースペクティブにはならないだろう

前川國男は1905年新潟県生まれ。東京帝国大学(現:東京大学)で建築を学び、卒業した翌日にはシベリア鉄道でフランスに向かう。なぜならフランスには憧れのル・コルビュジェが居たからだ。研究室時代には恩師である岸田日出刀先生にお土産でもらったル・コルビュジェの作品集を、前川は肌身離さず持ち歩いていたらしい。そのル・コルビュジェの事務所に日本人初の弟子として入所。3年の実務経験を積む。その間サヴォア邸の竣工なども目にしたはず。モダニズムの熱気をたずさえ帰国。その後フランク・ロイド・ライトの助手として帝国ホテル建設の際に来日し、竣工前に日本で独立したアントニン・レーモンド事務所に勤める。つまり建築三大巨匠の内2人に関わっているような感じだ。30歳で銀座に前川國男建築設計事務所を設立。1957年にはル・コルビュジェ設計の国立西洋美術館の実施設計を、かつての弟子たちと共に行う。ちなみに向かい側に建つ東京文化会館(1961年完成)は、前川國男が設計した東京都立のホール。東京都交響楽団の本拠地でもある。

さて、熊本県立劇場。竣工は1982年。設計者として前川國男が指名コンペで選ばれたそうだが、熊本にはすでに熊本県立美術館本館があったわけで、その実績と信頼が決め手になったのではないかと思われる。

そして、前川國男はすでに先述した東京文化会館や、『東洋一の響き』と謳われた神奈川県立音楽堂などのホール建築の実績もあった。

当時はまだ多目的ホールが主流だったが、『熊本に本格的なコンサートホールを!』との県民の願いを叶えるべく、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地であるウィーン楽友協会ホールを参考として計画されたという。当時公共の専用ホールの建設というのは西日本で初めてだったらしい。そのおかげで、後の熊本の芸術文化発展に大きく寄与することになる訳だ。

コンサートホールの収容人員は1,810人。残響時間2秒(80%収容時)というのは神奈川県立音楽堂をも凌ぐ優れた性能。音楽一家に育った前川國男自身もヴァイオリンも嗜んでいたようだし、ホール設計には並々ならぬ熱意を持って取り組んだはずだ。

熊本県立劇場_前川國男
コンサートホールの入り口はあえて低くして、ホワイエの大空間に抜け開放感が増す仕掛け。座席に向かう時の胸の高鳴りをドラマティックに演出する
熊本県立劇場_前川國男
幕間や終演後のひと時を過ごすコンサートホール前のホワイエ。ちょっとくすんだ成層圏ブルーの天井と大開口に映る緑が美しい。テラスへも“吉原つなぎ”が続くので視覚的連続性がある。椅子も前川國男デザインで天童木工製。同型のものが熊本県立美術館本館にもある

15度の壁

プライベートでは何度も入ったことのあるコンサートホールだが、舞台に立つのは初めて。客席に向かうと1,810席はやはり圧巻。舞台の後ろと側面の壁の造形も迫力がある(語彙…)。はて。舞台から客席の両側面の壁を見ると、気のせいか斜めに傾いている。案内していただいたスタッフのNさんによると、「気のせいではないです(笑)。15度内傾してます。多くの反射壁を設けることで豊かな“響き”を実現しています」。とのこと。しかしコンクリートの矢羽根模様と、夕焼け色の壁面のコントラストが美しい。

舞台袖にはけ、バックヤード・楽屋を抜け、途中搬入口も見て、次は演劇ホールの舞台へ。

「広!」思わず出た言葉。コンサートホールより遥かに広いステージ。「そうです、バトン(書割や照明を取り付ける舞台上部にある棒)が60本あります。アクティングエリア(舞台における演技をするところの範囲)が広いので、他の多目的ホールなどでは広さが足りずにカットされる演目でも、省略せずにフルでできます。それがこの演劇専用ホールの強みです」とNさん。演劇ホールの収容人員は1,172人。1階客席の舞台に向かって左側には、歌舞伎などで使用できる仮設本花道が設置可能。2階客席最後部からでも演者の表情が良く見えるように、欲張って広く設計されていない。

熊本県立劇場_前川國男
15度内傾したコンクリート壁。矢羽根模様が美しいせいか圧迫感は感じない
熊本県立劇場_前川國男
演劇ホールの舞台。客席より広く感じるくらい、贅沢なアクティングエリア
熊本県立劇場_前川國男
今回の大改修では両ホールとも舞台音響設備の全面デジタル化がなされた。コロナ終息後の活気ある上演が待ち遠しい

コンサートホールと演劇ホールは独立した建物だと言っていい。2つのホールを音響的に分離するためである。しかも空調の音さえホール内に影響を及ぼさないように、2つのホールの間にあるモール(正面玄関と駐車場側入り口を繋ぐ通路)の下に、空調・電気機器を集約し、雑音をホールに出さないようにする設計的な配慮がなされているのだ。ホール内だけでなく、ロビーやホワイエの空調も全てここに集約されている。まさに全館空調だ。

熊本県立劇場_前川國男
モールの壁面には熊本出身の画家マナブ・間部の油彩画が掛かる
熊本県立劇場_前川國男
床に“吉原つなぎ”が続くモール(中央通路)。この下に空調・電気機器が収まる。右のかまぼこ状の壁にあるスリットは空調の吹き出し口
熊本県立劇場_前川國男
午後の陽光が矢羽根模様のコンクリート壁をかすめる。有機的な凹凸でコンクリートの冷たさは感じない。優しいディティールだ
熊本県立劇場_前川國男
手すりも思わず触れたくなる造形。床からの立ち上がりにはアールの付いたタイル。タイル幅とか壁の厚みとか、さりげなく揃う
熊本県立劇場_前川國男
素材はコンクリートだけなのに、色とテクスチャで“映える”表情を作る。全体に言えることだが、コンクリート建築なのに“冷たさ”は皆無だ
熊本県立劇場_前川國男
ビビットなオレンジ色が印象的なコンサートホールの通路。柱が傾いているけれど、これもやっぱり15度なのだろうか
熊本県立劇場_前川國男
熊本県立劇場_前川國男

ここで熊本県立劇場の秘密をひとつ。コンサートホールと演劇ホールの女子トイレは、実はドア1枚で繋がるのです。これはホール利用者に女性客が多いことによる混雑を解消するためで、どちらかのホールが使用されていない場合、このドアが解放されてトイレの数がほぼ倍増する仕掛け。建築当初は壁で仕切られており、2014(平成26)年に改修されたもの。しかも演劇ホール側は男子トイレだったそうだ。それにしてもナイスアイデア

熊本県立劇場_前川國男
演劇ホールのトイレ。もうピクトグラムが見えなくてもどちらに行くべきかわかってしまう
熊本県立劇場_前川國男
コーナーに丸みを持たせた壁。立ち上がりのタイルも綺麗なアールを描く
熊本県立劇場_前川國男
ボリュームのある〝はつり〟コンクリート壁。打ちっぱなしにひと加工加えることで空間に表情を与える。電燈も前川國男デザイン
熊本県立劇場_前川國男
1960年代からコンクリート打ちっぱなし(無塗装)を多用しなくなった前川國男。日本の気候風土には向かないと悟ったのだろうか。以後は氏の代名詞である『打ち込みタイル』を使うか、打ちっぱなしでも塗装するようになり、経年劣化を最小限にし建物の寿命を延ばす意図が感じられる。ゴミ入れも前川國男デザイン
熊本県立劇場_前川國男
演劇ホールのホワイエ。ちなみに熊本県立劇場の季刊誌名も『ほわいえ』。椅子の並びが程よくソーシャルディスタンス
熊本県立劇場_前川國男
外壁はガラスを抜けて室内まで続く。視覚的連続性を持たせ空間の閉塞感を消す。前川建築と言えばこの『打ち込みタイル』。性能劣化や剥落という欠点をもつ在来の後張り工法を克服するために発案されたものである。タイルをあらかじめ外型枠に釘止めしコンクリートを流し込み、コンクリート躯体とタイルを一体化させる工法。ところどころ規則的に穴の空いたタイルがあるのは、型枠が膨らまないようにセパレーター(留め金物)が貫通していた穴。溝の部分には小さな釘穴も残る。歌舞伎の隈取をモチーフにした衝突防止マークは、よく見ると『KUMAMOTO』と読める

BELCA賞

熊本県立劇場_前川國男
演劇ホール奥は一段高くなっている。上部にバトンなどの設備があるからで、建物全体でもっとも高い場所になる。熊本地震では流石の打ち込みタイルも一部波打ったが、改修工事で元通り綺麗に。アールの付いた角のタイルが萌え

2020年、公益社団法人ロングライフビル推進協会から、長期にわたり適切な維持保全を実施し、優れた改修を行った建物に贈られる『BELCA(ベルカ)賞のロングライフ部門』で、熊本県立劇場が表彰を受けた。これは計画的に維持管理、保全が行われ、芸術文化振興の拠点施設として、建物を長く利用し続けようとする姿勢が高く評価されての受賞だ。

熊本県立劇場は、前川建築の意匠をとても大切にしているように見える。変な増改築が見当たらないし、時代にのニーズに対応させる設備の改修も行われているのだが、とてもさりげない。

熊本県立劇場の改修・保全計画は2005年に大規模工事を含めて立案され、2015年に再度計画の見直しが行われた。この年にコンサートホールの舞台照明設備の改修工事で、揺れ抑制装置を天井内に設置。これが翌2016年の熊本地震の際、ひとつ300kgもあるシャンデリア10灯の無事に繋がった。外部タイルの剥離など相応の被害はあったが、致命的な損傷はなく、4ヶ月でホールの使用を再開できたことで前川建築の堅牢さが実証された。

熊本県立劇場_前川國男
熊本県立劇場_前川國男
利用者に学生も多いことから駐輪場が広い。場所も正面右側でアクセス良好。ここのコンクリート壁も補修され淡い朱色が艶やかだ

3月19日に完了した約5ヶ月にも及ぶ大規模改修工事は、改修・保全計画に則ったもので、舞台機構設備や衛生・電気設備の改修や補修の他、外部コンクリート打ちっぱなしの壁面は、全て塗装を剥離し塗り直してある。見た目の変化は地味だが、こういう地味なメンテナンスが長期保全の鍵になることは間違いない。オリジナルの状態を大切にするその姿勢が、竣工から40年経っても尚、変わらない佇まいを現前させている。そしてBELCA賞の受賞は、100年目に向けての大いなる自信となるだろう。

今回の取材、私とカメラマン橋本は萌えに萌え、二人で写真を撮りまくり、なかなか前に進まず、案内して頂いたスタッフのNさんを随分とお待たせしてしまった。それくらい素晴らしい建物だと改めて実感。イベントがない日に取材させて頂いたことで、建物にしっかりフォーカスしながら、前川建築を存分に味わうことができた。

Nさん、スタッフのみなさま、ありがとうございました。100年建築とは言わず1000年建築を目指しましょう!

熊本県立劇場

【建築概要】

設 計 前川國男

工 期 1980年12月20日〜1982年11月30日

落 成 1982年12月4日

敷地面積 44,896m²

建築面積 10,100m²

延床面積 23,956m²

構 造 鉄骨・鉄筋コンクリート造、一部鉄筋コンクリート造

規 模 地上3階、地下2階

所在地:熊本市中央区大江2丁目7-1

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