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愛情で伝える人〈後編〉- 山崎彰吾 – | KumamotoZINE

愛情で伝える人〈後編〉- 山崎彰吾 – | KumamotoZINE

Shinji Shimoda
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『竹の、箸だけ。』をコーポレートメッセージに掲げ、熊本県南関町で文字通り“竹の箸だけ”を、半世紀に渡り作り続けているヤマチク。地方の箸メーカーから世界に向けて存在感をアピールする、そのリブランディングの手法が今注目されています。その中心には山崎彰悟さんがいます。現在多くのメデイアにヤマチクの取り組みは取り上げられていますが、LogicZineは山崎彰悟さんその人に着目し、お話を伺ってきました。今回は後編です。

<前編>はこちら
「社員は家族みたいなもんです。昔っから」子どもの頃の遊び場だった工場を背に立つ山崎さん

南関町

山崎さんが南関町にこだわる理由はありますか?

「ここには職業の選択肢が少ない。さらにその中でも“人に自慢できる仕事”はもっと少ない。ここに戻ってきて驚いたのは、ウチの工場って、その人にしか作れないものがいっぱいある。けれど総じて給料が安かった。オリジナルな仕事をしているのにすごくもったいないと感じたし、ショックでした。私は私立の中学高校や、都会の大学にも行かせてもらいましたが、これってここではすごく稀なんですよ。都会では当たり前かもしれませんが、人口1万人に満たない町では特別なことなんです。もちろん親にそうしてもらったわけですが、そのお金を稼がせてくれたのはヤマチクの社員の皆さん。だから私には恩を返す義務がある。私が学ばせてもらった知識、経験、繋がりをフルに活かして、ヤマチクの仕事に関わる人たちにどう返すか。経済的なやりがいはもちろんのこと、自分の仕事をみんなに自慢できるような精神的なやりがい。例えば大切な人へのプレゼントとして自分で作ったものをあげたいと思えるか、自分たちの名前で作った商品が有名セレクトショップに並んだり、雑誌に掲載されたりして、そのことを誇れるかどうかが大事。それをここでやりたいんです。だから今は自社ブランド製品のPR・新規開拓に力を入れているし、次のフェーズとしてそれがちゃんと身入りに繋がることを意識しています」。

長さを揃える、角を丸くする、色付けをする。それぞれの工程を経て一膳の箸になる

“お互い様”は循環する

「それから先ほどもお話しましたが、ウチは女性社員も多くて子育て中の人も居るんですが、子どもが熱出した時には帰りやすい環境とか、社員同士で理解がある。経営者は『いいよいいよ〜』なんて言っていれば良いんでしょうけど、問題は社員さん同士。不平不満は出て当たり前。でもウチはないんですよ。なぜならベテランもそうやってもらってきたからです。子育てをみんなで協力してきた。そしてベテラン社員になると今度は親の介護の問題も出てくる。ヤマチクではそんなふうに“お互い様”がちゃんと循環してきたんです。そして子育てに手がかからなくなれば今度はお金がかかる(笑)。その時に私のように大学行きたいって子どもが言ったとして、親である社員に『ダメ』とは言わせたくない。だからそれが可能な給料を払いたい。そのためには、ものづくりだけではなく、仕事の幅も広げていく必要があります。製造だけではなく営業やデザイン、リブランディングの現場にもっと携ってもらうとか、いろいろ活躍の場を広げるチャンスを作りたい。私自身はお金にあまり興味はないけれど、ただ稼ぐことにはこだわりたい。若者が田舎に残らない、魅力がないと言われる中で、田舎なのに仕事でワクワク感があるって最高だと思うんですよ。田舎にある箸屋なのになんか稼げるらしいよとか。田舎の零細企業やものづくりには、ほぼ後継者問題が付きまといますが、私に言わせると、あれは後継者問題ではなくて単純に事業の収益の問題。稼いでいたら若者は勝手に戻ってくる(笑)。出ていかない。そのためにはまず親世代のスタンスが重要なんです。私もUターンしようとした時止められました(笑)。自分の親にですよ。『戻らなくても良いよ、都会で好きなことやりなさい』って子どもに言うの、実はこんなに辛いことはないと思うんですよね。家族だもの近くにいたいじゃないですか。それなのに、誇れる仕事がないことを自分で肯定している。今までやってきたことを自分の口で否定しなければならないなんてね。言われる方も辛かった」。

乾燥棚に美しく並んだ真紅の箸

“人を動かす方法”はない

それでも帰ってきた。勝算というか戦略はありましたか?

「ないです。実際蓋を開けてみると、ヤマチクは経営的に本当に儲かっていなかった(笑)。私は中学から寮に入っていたので、地元には知り合いも少ない。PRやリブランディング、何かやろうとしても周囲の温度は低かったです。都会で当たり前の手法もここでは通用しない。例えると、都会が設備も人員も揃った大病院とするならば、田舎は差し詰め野戦病院。十分な医療機器もないのに目の前に人が倒れている(笑)。でもどうにかしないといけない。そんな感じでした。だから若者達が経験とスキルを身につけてUターンして戻ってきても通用しないのはある意味当たり前なんです。挫折してしまうのは整った環境の中でのやり方しか知らないからなんです。ここでは言ってることが正しいか正しくないとかは問題ではなくて、聞き入れてもらえるかどうかが問題でした。まだ24歳の若者がワーワー言ってるわけですよ。とにかく理解者がいないことが辛かった。だから自分でちょっとずつやってみて成果を出すことの繰り返しでした。SE時代はやりがいのある仕事で、夜12時過ぎまで働いてても残業代も出るし、苦じゃ無かったし楽しかったですけど、ヤマチクは8時始業で5時終業。田舎で遊びに行けるところも少ないし、夜を持て余してましたね。だからめっちゃ本を読むようになりました。若いくせに~とか言われてもそれはしょうがないじゃないですか。だから経験がないことを手っ取り早く埋めることができるのは知識だと思って、経営、哲学書などいろいろ読みました。知識だけは負けないぞって(笑)」。

思い出の1冊とかありますか?

「そうですね、一番救われたのは松下幸之助さんの著書ですね。それから渋沢栄一。そのルーツの論語とか中国の古典。やっぱり人間をベースにした東洋哲学に救われました。当時は新しいことをやろうとして、どうやったら人が動くのかを悩んでいたわけです。相談できる相手もいなかったですし。でも結局、本を読みまくって分かったことは“人を動かす方法”はない!と言うことでした(笑)。もう他人から見て気の毒と思われるくらい自分が働くしかない。手伝わないとかわいそうなレベルで。だから勤務時間以外にも、朝、夜に企画書書いて売り込みに行って、新規開拓に勤しんでましたね〜。父は最初から理解してくれていました、『好きにやれ』と。ただ先行投資でPRとかの費用にはびっくりしてましたが(笑)。社内外含めて理解度の差こそあれ、今ではみんな背中を押してくれます」。

社員一人ひとりに声をかけコミュニケーションを取る山崎さん

主役はあくまで社員

全国的に地方において淘汰されていく業態や会社が少なくない現代において思うことは?

「竹のお箸は国内では自分たちだけしか作れないとか、やっていることが仰々しく思われるかも知れません。竹のお箸を普及させて、地方における雇用の安定を目指しているとか、竹を使うことによって里山の環境保全になっていたりとか、そういう大それた見え方をしているかも知れませんが、私はただ自分の手の届く範囲で出会える人たちが、幸せならそれでいいと思っています。竹を切る人、社員、お客様、取引先の方々、デザイナーさんカメラマンさん、皆ハッピーになればいいと思ってます。その手段が竹の箸づくりなだけです。後継者問題、廃業に関しても偉そうなことは言えませんが、最終的には愛情があるかどうかじゃないでしょうか。そもそもその仕事を続けたいのか残したいのか。関わっている人たちを幸せにしたいのか。社員や商品を自慢したいのかどうか。だから自分の会社の社員のことや商品を、自分で悪く言う人たちには近付かないようにしてます(笑)。私はヤマチクの社員たちを家族だと思っています。大きな家族。だから当然いいことばかりではない。怒ることもあるし。今朝もまあまあ大きなミスが発生したりして厳しいことも言いました。だけど、間違っていればそれは言わないといけない。大きい意味での愛がなければ言えない。その人のためにも。特にコロナ禍では営業日数を削るしか無かったけれど、利益を減らしても会社を回さないと共倒れしてしまいます。そういう厳しい状況もちゃんと共有しています。結局は自分の会社を好きになってもらうため。私がひとりで作っているわけではないし主役はあくまで社員たちなので。私は経営に携っていますがみんなに食わしてもらっている意識です」。

リブランディングについて

リブランディングに取り組まれたきっかけは?

「OEMの商品の取引していると、どうも竹のお箸の魅力がうまく伝わっていないなと感じることが多々ありました。なんで竹なのか、木のお箸とどう違うのか?輸入品とどう違うのか。そんな問い合わせを問屋さんから頂く。輸入品と同じ価格でできませんか?とかも。それは価値がちゃんと伝わっていないから。だから問屋さんたちだけに任せられんなと思いました。それでまず、やってること、これからやりたいことを整理し再定義するため、会社案内を作りました。これがあれば問屋さんもちゃんとお客様に伝えてくれるだろう。と、淡い期待を持っていたんです。ところがメーカー名は伏せて販売する問屋さんにそこまでの熱量はない。それは仕方がない。だから自分たちでもっとお客様の近くに行くしかない。価値観を分かってくれる小売店や飲食店に直接アプローチするしかない」。

それでオリジナルのブランドを作ったんですね。

「でも最初私は自社ブランド(okaeri)を作ることにはすごく消極的でした。経営的にはリスクが大きい。営業は自分一人しか居なかったし、在庫抱えて、発送業務まではたしてできるのか?って思いました。結果、社員みんなの力でできましたけどね(笑)」。

現在ヤマチクの名でオリジナル商品を納める取引先が全国に90件ほどあり、価値観に共感する方々の手に届くようになったそうですね。遠くはスウェーデンのショップにも。

「コロナ渦ではオンラインショップを含めた自社ブランドの売り上げが、初めてOEMを超えました。自分たちで自分たちの作っている商品の魅力を伝えてきた結果だと思います。リブランディングの手段として自社ブランドを作ったわけですが、その結果OEMも増えればいいと思っています。OEMもオリジナルも同じヤマチクのお箸ですから」。

並べると竹になる微妙な曲線のショップカード

採用にも力を入れているそうですね?

「新卒採用も5年目になります。最初来るわけないだろうと思ってました。リブランディングにも取り掛かっていなかったし、会社案内もパワーポイントでした(笑)。高校に訪問しても、大きい企業が割り込んでくると後回しにされ、すごすご帰るしかなかった。それはそうですよね、先生たちも衰退産業に見える会社に教え子を就職させたくない。悔しかったなぁ」。

YouTubeにも会社紹介の動画を上げていらっしゃいますね。

「今はコロナ禍で先も見えないし、どこも求人を絞ってますが、それもしかるべきだと思います。だけどウチはもっと先を見越して、こんな箸屋でよければどうぞって感じで、門戸は開けたままにしています。逆に言えば今は優秀な子が来てくれるチャンスなんです。社員たちも採用を楽しんで取り組んでくれています」。

社員さんたちに一番大切にして欲しい気持ちは?

「自分の仕事が好きか、自慢したいか。1膳いくらだろうが関係ない熱量で携わっているかです。仕事は単調だし、工場は暑いし寒いし大変ですが」。

ニスの匂いが立ち込める塗りの作業場。回転する木箱の中で満遍なくニスが回る

アイコンの先には必ず人がいる

SNS等にも積極的に発信されていますね。

「SNSの良い面は、考えや想いをいつでもどこからでも発信できる。思わぬ反響で突然売れたこともあります。豪雨災害の時はブリッジクマモト(※)さんとのチャリティーコラボ商品(1膳につき400円を、熊本豪雨の復旧支援の一部として寄付)が200膳即完売しました。ただSNS、インターネットで全てが完結するとは思っていません。いいね1000個でも人が動かないこともあるし、いいねだけで済まされることもある。SNSは大事な戦略ツールですが、万能ではない。+αなもの。アイコンの先には必ず人がいるってことを忘れないようにしたいですね。ちなみにここいら(南関町)ではSNSは全然リーチしないんです。ビラの方が断然早い(笑)」。

※=一般社団法人BRIDGE KUMAMOTO『2016年熊本地震をきっかけに設立。「クリエイティブの力で社会課題に挑む」「寄付をするクリエイティブ・エージェンシー」をミッションとして、メンバーそれぞれが本業を持ちながら、プロボノとして参加している団体です』

南関ソーメンとコラボ商品も販売されましたね。

「南関町にはまだまだあまり知られていない良いものがたくさん埋もれています。コラボしたソーメン会社さんもHPない、OEM専門で生産量も多くない。以前のウチと似ていました。だからお箸と近しいし、地元の良いものと組んでアピールしていきたいと。コロナ禍で気が付いたんです。それまでは都会に都会に出て行こうとしていたけれど、ネットショップがあればどこからでも誰にでも売れるなと。それに私たちしか知らないものを提案できるのは、私たち以外にいない。地元が盛り上がるのが重要で、ウチを起点におもしろいことをやっていきたい。ちなみに次は小代焼とのコラボをやります。お箸に相性が良いのはお茶碗ということで、限定オリジナルのものを作ってもらいました。そこもHP、SNSやってない。全然知られてない(笑)。だから私たちがお手伝いして盛り上げていく。綺麗なんですよ〜小代焼き」。

今年の11/21、22、23の三日間、『大日本工芸市』開催をヤマチク第二工場の2階で計画しているそうですね。

「全国で知り合ったものづくりに関わる人たちにお声がけして、デパートなどでよくある伝統工芸市みたいなものを自分たちでやっちゃおうみたいな(笑)。Go Toトラベルと言っても、なかなか行けないでしょ?だからこっちに呼んでくきます。町おこしって役場だけがやるものではないと思うんですよ。行政に任せっぱなしにするんじゃなくて。田舎だと何かやろうとしてもみんな勝ち馬に乗りたがるけどリスクは抱えたくない。だから行政に任せる。それを民間に取り戻すというか、私たちが成功事例を作って参入しやすいようにしたい。そうすればみんな真似するだろうし、それで良いと思ってます。結果地域全体の底上げになる。今はいろんな産業とか業種の壁が溶けて、おもしろいもの(こと)が生まれやすくなってきていると思うんですよね。南関町においてはウチがフロントランナーになりたい。おそらくまだ多くの人たちが、私たちが何をやってるのか、何をやりたいのか、わからないと思います。それから、ものづくりの人たちって結局、観光資源だと思うんです。私だって実際、指勘(さしかん)組子や萬古焼きの産地である三重の菰野(こもの)町や、眼鏡の生産福井の鯖江市とかにも良く行くんですが、何しに行ってるかって、観光というより人に会いに行っている。私に言わせれば人こそが観光資源なんです。南関町には何もないけどあいつがいるよね、って思ってもらいたいし、ヤマチクが目的地になって欲しい」。

実際私たちもこうしてやって来てますしね。

「そう!本当に(笑)」

『大日本工芸市』at 熊本
第二工場の社屋に掲げられたコーポレートメッセージ。誇りとブレない信念でこれからも南関町を盛り上げることでしょう

7年前に舞い戻った小さな種は確実に根を張り花を咲かせ、そしてその種がまた広がろうとしています。愛情を持って取り組めば、どんな土地だって芽吹かない種はない。山崎彰悟さんの根底には泥臭くて熱い地元愛“南関愛”が流れているようです。ありがとうございました。

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