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早川倉庫 | 萌える建築

早川倉庫 | 萌える建築

Hiroko Sonezaki

今回の建築

「早川倉庫」

熊本市中央区万町。
遠い昔の歴史が残るこの町で、ひときわ薫る建物が「早川倉庫」である。

万町は「古町」と呼ばれる地域の一画。熊本城の築城時、加藤清正が整えたこの古町には、たくさんの商人や職人が住んでいた。

中心に寺を据えて周りを町屋が囲む、一辺120mの区画が均等に並んだ、碁盤の目状の町割が特徴。これは、戦時に各区画を軍事拠点とする他、火事の延焼を防ぐなど、有事に備えて考えられたもの。

熊本城といえば、過剰な程の防衛機能とその実績により「難攻不落」で名高い。加藤清正の心配性が、城内のみに留まるはずもなく、もはや街全体が要塞であり、城下町にもその面影は残っている。 

当時のままの町割や、今なお受け継がれる文化の数々から、古き良き頃を色濃く感じられる古町。中でも貴重な建造物は、熊本市から「景観形成建造物」として指定されており、早川倉庫もその中の一つとして名を連ねている。

早川倉庫の貴重たる所以は、明治時代から残る、規模の大きな「木造の」建築物であること。ご存知の通り、木は燃えやすく、腐りやすい。その木で出来た100歳越えの建物など、そうそうお目にかかれるものではない。いかにして今日に至るのか、その変遷を少し紐解いてみる。 

熊本城の生まれ変わり!?

この建物が生まれたのは、明治10年。これは、歴史が苦手な人でも分かるであろう、かの有名な「西南戦争」が起きた年。明治政府に敗れた西郷隆盛が「おいは明治政府ではなく、清正公に負けたのだ。」と言った、という逸話もあるように、熊本城の堅牢さを世に知らしめた出来事だ。

なんとも悲しいことに、天守閣をはじめとした熊本城の建物には、この戦争によって焼失・倒壊したものが多くある。影響は城下にも及び、町の建物の大半が失われた。西南戦争後、崩れた熊本城の木材は、町の再建のための貴重な資材として利用された。早川倉庫が作られたのもこの時期で、熊本城の廃材も使用されたといわれている。

現在「早川倉庫」として地域に根差すこの建造物、再建当時は「岡崎酒類醸造場」という酒蔵だった。再建時の主人は岡崎唯雄(おかざき・ただお)氏。

岡崎家は、熊本の商業界を代々統率してきた家柄。そして唯雄氏は、熊本県商業会議所初代会頭であり、衆議院議員を2期勤め、熊本の商工業発展の礎を築いた、熊本商業界の中心人物であった。

そのように大きな力を持つ主人であったのだから、熊本城の廃材を入手できたとしても頷ける。かつて城を支えていた、殿様級の材。建物内を見回すと、これはもしや・・・と思う箇所を見つける事ができた。

用途を持たないこの穴。熊本城の木材であった名残…?
入ってすぐ見える人見梁。全長なんと12メートルあり、早川倉庫の象徴的存在。こんなに大きな木材、もしや…

明石の職人による特徴的な与次郎組み

この建物の特徴的な点は、梁が交差した「与次郎組み」。大きな地棟の上に、X字に梁が組み合わさって、大きな屋根を支えている。

与次郎という人が考案した、やじろべえのような人形の構造に由来するこの組み方は、江戸時代に考案された和小屋構造だ。民家の主屋や土蔵に見られる構造。江戸時代の人もこの屋根の下にいたのかと思うと、ノスタルジックな気分になる。

この一号倉庫を建てたのは木本理右衛門という人で、なんと明石(兵庫県)の職人。なぜそんな遠方の職人がわざわざ来たのだろう。

町の大半を再建する大プロジェクトで人手が足りず、全国から職人が集められたからという説がひとつ。明治期、大工たちが西洋建築を学ぶために全国各地を回ることを「西行」と呼んでおり、西行のために木本氏は熊本を訪れていたという説もある。

一方で、本宅と二号倉庫を手掛けたのは大神善吉という人。元の主人である岡崎家と親しい間柄だったようで、近所に住み、頻繁に出入りしていた人物なのではないかと言われている。

こういった話を、柱に刻まれた名前などから推測していくのは、歴史ある建物ならではのロマンだろう。 

早川倉庫の与次郎組み(平成18年度 早川倉庫について[早川倉庫に関する調査研究]より抜粋)
早川倉庫の与次郎組。梁が交差しているのが見て取れる。(撮影:早川祐三さん)

移り変わる時代の狭間に立ち続ける

醸造場として明治末期まで稼働した旧岡崎酒類醸造場。その後、山鹿の履き物問屋「川津本店」熊本支店の責任者であった、早川仁三郎氏が新たな主人となり、仁三郎の子早川健祐が普通営業倉庫、合名会社早川倉庫を開業し現在に至る。

現在の代表は3代目の早川礼三さん。その跡取りとなられる早川祐三さんは、倉庫業を営む傍ら、老朽箇所の修復を自ら行い、建物の維持存続に尽力されている。2011年、東日本大震災チャリティーイベント開催を契機に、イベント会場としての利用受け入れも開始。今では様々なカルチャーが全国から集結し、文化の発信基地として知られるようになった。

また、築180年の町屋を自らリノベーションした、ゲストハウスを運営。この取り組みを始められたことには、2016年の熊本地震を機に変わる町に対する、早川さんの想いがあった。

倉庫の修繕などを自ら行われている早川祐三さん
中央に見えるのは、2 代目が中学時代に書かれた絵

以前古町には400棟もの古い建物が残っていたが、熊本地震の影響で、今では200棟ほどに減少。これには、維持存続のための経済的な問題や、後継者の不在など、複雑な理由がある。残っている建物も、今風に改装され、外観はもはや町屋ではない建物がほとんど。元の形に戻すことは出来るが、所有者の意識を変えることは難しい。

俺についてこい!といってこの町を率いる事は難しいかもしれないけれど、ご縁があるところでは出来るだけお役に立ちたいと思っている。

早川さんがゲストハウス事業を始めたきっかけは、ご親戚が壊すことを決断された建物を引き受けたこと。震災後「建物を壊す」という判断が多くの建物に下される前に、古い建物が投資の対象になるということを示し、一つでも多くの建物を残したい、という思いからだった。

「消えて行った町の古い建物の分まで、この町の象徴として早川倉庫を残していきたい。」

街に残るものをつくる。これは建築に携わる誰もが願う夢だろう。それは「丈夫なものを作る」ということではない。丈夫であることは、建物の宿命なのだから。この早川倉庫のように、いつまでも愛し、住み継ぐ人がいなければ、建物は生き永らえない。

創業当時に思いを馳せた、酒蔵まつりも自ら主催されている早川さん。

「懐かしい日本酒の匂いを嗅いで、この建物も喜ぶだろうから。」

元酒蔵ならではの仄暗い明かりが、主人の言葉に微笑んだかのように見えた。早川倉庫の放つ魅力は、決して経過した年月だけではない。幾久しくここに在る、その理由全てに“萌える”建築だった。

手斧のあとが残る梁。動力を使わずに、全て人の手によってつくられていた当時ならでは
2 階にはこんな部屋も。震災を機にお知り合いから譲り受けたベッドはかなり上質。綺麗に並べられた家具は、早川倉庫2代目が集められたもの。
イベントで賑わう様子。屋内1F(210㎡)、屋外アーケード(280㎡)の2カ所を、数時間から最長15 日間まで 利用できるそう。料金はイベント内容や日時により異なるので、要相談。

《 data 》

早川倉庫

住所:熊本県熊本市中央区万町2-4
TEL/FAX: 096-352-6044
貸し倉庫営業時間:8:00 ~ 18:00
休業日:土日
アクセス:呉服町電停(徒歩1 分)

https://hayakawasouko.com/

photo garalley

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